2016年9月21日 (水)

おお、会話が弾む

今月母は82歳。現役の美容師。

ごひいきにして下さっているお客様は母よりも年上の方ばかりで、

他の美容院にお客様が流れていっているわけではないけど、

高齢になるにつれ自然に減少。

母の体力とお客様の健康具合は絶妙なバランスでソフトランディングしていってます。

母の身体は生活には困らない程度に元気。

目は白内障手術済みで、わたしよりもよく見えている

耳は遠い

鼻は若いころから嗅覚障害

口はとにかく悪い 歯に衣着せぬ人

コミュニケーションをとる上で、耳が遠いのは難点。

聴くことができないと、ただ口の悪いだけのおばあちゃんだもの。

母いわく、NHKのアナウンサーさんの声はよく聞こえるとか。

特に電話だと、相手の声は聞こえるけど、言葉として届かないらしい。

以前から受話音量の大きくなる固定電話を使っていたけど、

ここ数年はそれでも難しくなってきて、

母と電話で話す時は、歌うときのように腹筋で支えて発声してた。

そこで今回見つけたのがこれ。

誕生日&敬老の日のプレゼントに贈りました。

いろいろな機能はあるけれど、

母に必要な部分の操作はとても簡単。

そしてなにより、声が言葉として聞き取りやすいらしく

電話で話すと、会話のキャッチボールがスムース。

ワンタッチダイヤルに姉と私と姪を入れて名前を表記。

こうしておくと、一人暮らしの母になにかがあったとき

そこに居合わせたご近所の方やお客様が

私たちに連絡してくださることもできるのではないかと思うとちょっと安心。

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2016年7月10日 (日)

HIPRAC(ハイフラック)

区内に新しくできた「広島がん高精度放射治療センター」の公開セミナーに行きました。

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一生のうち2人に1人ががんになるとか、死因の1位はがんだという統計もあり、
日本人個々が昔よりもがんになりやすくなってきているのかと思っていましたが、
そういうわけではないみたいですね。
少子高齢化によって統計上そう見えるとか。

今回は高精度放射線治療についてとても分かりやすく教えてくださいました。

すごいですね。
体内のがんの位置を数ミリ単位で正確に把握して、
腫瘍の形にぴったり合わせていろんな角度から放射線治療ができるんですって。

しかも、追尾照射機能があって
呼吸による患部の動きに追従した照射ができるそうです。

患者さんの体形にあわせた鋳型(?)でマットを作って、
その上に横になることによって身体が固定されるるそうです。

痛みもないとか。

正常な細胞・臓器へのダメージは少なく、機能温存・形態温存が可能。
もちろん、どんながんにでも適応というわけではないそうですが。

講演してくださった永田センター長はもちろん、
センターのスタッフのみなさんも感じが良かった。
建物も明るく、治療機器そのものの圧迫感恐怖感もなかった。
ここに来るときは不安な気持ちを抱えているだろうから、こういうことも大切。

なによりも早期発見が大切とのこと。
そして、正確な情報を落ち着いて集めること。
担当医としっかり話し合うこと。
肝に銘じます。

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2016年5月24日 (火)

風が吹いたら桶屋が儲かる。石につまずいたら歯茎が腫れる。

歯茎の腫れの原因は、半年前に駐車場でつまずいたことだった!!

インフルエンザで高熱がでて、歯茎がぷっくりと腫れた。
熱が下がると一旦はおさまるけど、体調が崩れると右上の歯茎がフクフクと腫れてくる。

そのうち治るかなと思ったけど、繰り返し腫れる。
半年も経つとさすがに不安になり、歯医者さんへ。

歯槽膿漏ではなかった、虫歯でもない。
虫歯治療済み歯の根っこの先っちょが悪さをしているとのこと。
ドクターが言うには、
それよりも気になるのは、腫れていない下側の歯に隙間ができていること。
数年前の以前のレントゲンと比べても、若干動いているって。

右側に圧力がかかること何かしてますか?
右側で食べる癖がありますか?
固い食べ物好きですか?
頬杖つく癖は? 歯ぎしりは?
と、いろいろ話をしていて、

寝る時はどっちむき? 
と聞かれ、あっ!! 思い当たる節が…

一年くらい前、スーパーマーケットの駐車場でつまづいた。
とっさに腕を振り上げてバランスを取り、転ばずにすんだ。
だけど、翌日、左肩が痛い。昨日のアレのせいね…。
そのうち治るかなと思ったけど、治らない。
五十肩かしらとあきらめ、
寝る時は左肩をかばって、右を下にして眠る生活を続けていた。

ドクターの仮説は、
ずっと右を下にして寝てることが原因で、
右の歯並びが少しずつ少しずつ変わって行った。
そのせいで、上下のかみ合わせが微妙にずれてきた。
そのせいで、問題となっている歯のあたりが強くなった。
そのせいで、今まで眠っていた歯の根っこに膿がたまりはじめた。

試しに眠りはじめだけでも左を下にして寝てみて というので
半信半疑で、左肩を刺激しないようにそっと左を下にして眠ることを続けて一週間。
歯茎の腫れがピタリと止まった。

人間のからだってうまくできてますね。
人の体に限らず、物事や、組織も同じようなことがあるのかもしれません。

関係ないと思っていたこと、関係があると思ったことさえなかったことが、
実は深く関わってるってことがあります。

小さなヒズミを放っておくと、他のヒズミを生み、
やがては全体に影響のあるヒズミになっていっちゃったりするんですね。

健康第一、そして、凡事徹底。

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2016年2月 3日 (水)

笑顔

中学校での学習支援の時のこと。

進路の決まった3年生のある女の子に、
「合格おめでとう」って書いたメッセージをそっと渡したら、
ニッコリいい笑顔を返してくれました。

いつも、静かにゆっくりコツコツ頑張っている子です。

その後、なにかコソコソやってるなぁと思ったら、
帰る時、教室の戸口で見送る私に、メッセージカードを渡してくれました。
そこには彼女からの感謝の言葉…。

とっても嬉しかった。

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彼女に目を戻すと、彼女の顔はとびっきりの笑顔で溢れていました。

そう、さっき私が彼女に渡したときよりもずっと素敵な笑顔。
今までで見たことないくらいの笑顔。

彼女にとっては、自分がしてもらうことよりも、
私が喜んだことの方がずっと嬉しかったみたい。

心打たれる笑顔でした。

中学生ながらも、いろいろな大変なものを背負ってるけれど、
彼女が心からの笑顔を見せてくれて、私もとても嬉しかった。

人を喜ばせる喜びは、心を豊かに耕してくれることでしょう。

同時に思うのは、私、もっと喜ぼう。
私が笑顔で喜ぶことは、誰かの心に花を咲かせることもできる。

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2015年6月 6日 (土)

ACCを取ると決めた その1

国際コーチ連盟認定資格 アソシエイト・サーティファイド・コーチ(ACC)を取ると決めました。

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http://www.icfjapan.com/icfinfo/credentials/acc

たった今の話。

国際コーチ連盟日本支部ネットワーク統括チームのSkype会議で、

「岩元さん、ACCなんで取ってないの?」

「きっかけがなかっただけなんですよね。取ろうかな。」

「じゃあ、まず、CTP(コーチトレーニングプログラム)の修了証を貰ってください。

CTPメンバーページの右下に『CTP全過程修了証発行』ってのがありますから。」

で、トントンと背中をおされ、トントンと話しが進み、

まず、初めの一歩を踏み出しました。

難しそうに思えてたけど、もしかしたらなんとかなるかな。

やってみよう。

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2013年9月27日 (金)

ため息ばっかり!!

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先日、東レ・パンパシフィックオープンをテレビで観てたら
クルム伊達公子選手が「ため息ばっかり」って叫んだ。

私もテレビを見ながら、伊達公子さんのダブルフォールトにため息をついてたのでドキッ。

傾聴レベルを例える時に、
「レベル1の傾聴っていうのは、テレビ見てる時みたいに、
『私はこう思う』って自分の価値観や感覚を前面に出して聞いている状態」
って云うのですが、
スポーツ観戦も、観戦レベルってあるのかも。

レベル1の観戦は、
テレビで観ているときと同じように、
自分かがっかりしたら、野次も飛ばせば、ため息もつく。

レベル2の観戦は、
目の前の選手にしっかりと意識の焦点を合わせて観戦する。
今、気持ちが焦ってるかもしれない。がんばれ~。
今のプレーいいよ。最高。

レベル3の観戦は、
選手だけではなく、全方位的観戦。
その場の空気やエネルギーを感じながら観戦する。

本当にそのチームや選手を応援するために試合会場に足を運ぶ時は、
きっと、レベル2、レベル3の観戦モードになるのがいいんだな。

そりゃそうだね、生身の人間だもの。
親が子の、上司が部下の、先生が生徒の、誰かが誰かの、
失敗にため息をついたなら、
ため息つかれた方は、エネルギーを吸い取られて、やる気が出ないよね。

人と関わるときに、ため息をつかない。
スポーツ観戦に行くときも、ため息をつかない。

ねっ。

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2013年9月 2日 (月)

the last straw

夏休みが終わりましたね。
学校が始まると親としてはちょっとホッとします。
教室では小麦色の笑顔が集まっていることでしょう。
一方で、夏休みの終わりに自殺してしまった小学生もいます。

今月はヘビーな話題です。

「the last straw」という言葉をご存知ですか?
直訳すると「最後の1本の藁」。これには比喩的な意味があります。

ラクダの背にどんどん荷物を載せていっても、ラクダは耐えます。
そして、さらに荷物を増やしていく。
でも、いよいよ耐えられる限界まで来ると、
最後にたった1本の藁を載せただけでも、ラクダの背骨は折れてしまう。

この「the last straw」とは、
最後のわずかな忍耐の限界を超えさせるものという意味があるのです。
彼女たちの最後の一本の藁は、夏休みの終わりだったのでしょうか。

自ら死ぬに至るまでには長い長い道程があるはず。
そこには、環境、家族、心、性格等々、いろいろな要因が絡み合っています。
こんな状態が長期間にわたって固定化していくと、
1本の藁のようなでき事が、自殺の引き金になってしまいます。

最近では子どもの自殺が起きると、「いじめ → 自殺」と説明される傾向が強いです。
もちろん、陰湿ないじめがあって、それが原因となっている自殺もあります。

でも、私たち親は、何があったとしても絶対に子どもを死なせたくない。

あい塾~子どもの心を育むコーチング~は、
子どもたちがしっかりと自分の人生を生きていくために、
親のできることを考えます。

◇日時:平成25年9月10日(火)10:30~12:30

◇場所: 和菓子みよしの 3階 広島市中区八丁堀8-3
http://www.h6.dion.ne.jp/~miyosino/map.html

◇参加費: 1200円

◇お申込: 
https://ssl.form-mailer.jp/fms/3fec53db133390


※あい塾茶話会は
広島県こども夢財団イクちゃんネット登録の非営利イベントです。

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2013年7月 5日 (金)

リアル中学生日記(10日間)

水曜日、中学の部活でテニスをしている息子のラケットが壊れた。
もともとフレームにヒビは入っていたのだけれど、
そことは別の場所が直角に凹んでいた。
強い力で何かの角にでもぶつけたのだろう。

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息子の説明では…

別のラケットで練習をしていて、ふとベンチを見ると、
そこに置いていたはずの予備のラケットが無くなっていた。
ベンチには空っぽのラケットケースがあるだけ。

ラケットケースを手に取ったとき、テニスコートのフェンスの向こう側のグランドに、
無残に壊れた自分のラケットが転がっているのが目に飛び込んできた。

いったい誰がやったのか、テニス部の仲間も誰も見てない。
顧問の先生が個別に情報収集しても何も出てこない。

外部からの侵入者というのも考えにくい。
休憩時間にみんなで水を飲みに行ってた時に折られたのだろう。

帰宅して、「ひどいよねぇ」と、ちょっと元気のない息子。

彼の分析によると、
「ボクは誰からもそんなことをされる覚えはないから、
ボクへの嫌がらせではないと思う。
たぶん『壊す』ってことそのものが目的だと思うから、
必ず誰かが見てるところで壊してるはず。」

なるほど、せっかくやるんだから、
見てる人が居ないとやりがいがないものね。

そんな話をしていると、家の電話が鳴った。
テニス部のお友達Aくんからだった。
「実は、オマエが帰った後、Bがみんなに『Cがやった』って言ってた」

やっぱり目撃者がいた。

BくんもCくんもテニス部で、その日、Cくんは塾で練習を早退していた。

つづけて目撃者Bくんは
『でもオレはCのことを先生に売ったりしないよ』
と言ってたそうだ。

電話をくれたAくんも
「オレが言ったっていうのは内緒にしておいて」

なんとも、中学生男子らしい義侠心。
Aくんも息子に言うべきかどうか葛藤したにちがいない。

その報告を受けた母は、
「どうする?このこと、先生に言っていい?」と息子に聞いてみた。
「ボクが直接聞いてみる。一日だけ待って。」
Cくんは息子のテニスのペア。
関係を壊したくないっていうのが最優先なんだ。

その夜、テニス部顧問の先生と、学年主任の先生が、
壊れたラケットを持って状況説明に来て下さった。
先生方は何も糸口が見つかってなかった。

「早退したCくんと、先ほど連絡が取れたのですが、
彼も知らないそうです。これで全員に聞いたのですが…。」

息子と目が合ったが、黙ってる。
これからの対応策について、先生と話しはじめたときに、
「先生、実は… さっき、テニス部のヤツから、
『CがやったってBが言ってた』って電話があった。
ボクが明日、Cに直接聞こうと思って黙ってたんだけど、
今、先生から、Cが『知らない』って言ったって聞いて…。」

「よく、言ってくれた。
それが本当かどうかも確かめてみないといけない。
もしも、それが間違った情報だったら、
オマエがCくんに聞くと気まずいことになるだろ?
誰が電話をくれたのか教えてくれないか?」

「それは言えない」

う~ん、中学生男子!!

もともと信頼している先生だったから、
息子はしばらく粘ったものの説得に応じた。

この件について、どんな対応を望むかを聞かれ、
「弁償は望まない。学校にも家庭にも、
壊した子を懲らしめてほしいのではなくて、教育して欲しい、
成長につながるように指導してほしい」と伝えた。

翌朝、息子の嘆きは違うところに向いていた。
「先生にチクらないのはわかるけど、
どうして、A以外のみんなはBが言ってたことを
ボクに教えてくれないんだろう。」

「みんな、いろいろ考えてると思うよ。誰のことも悪く思わないで。」
と送りしだした。

Cくんは、壊したことを知らないふりをしたことによって、
テニス部のみんなを巻き込むことになってしまったんだ。

2日目木曜日、事態は動かず。
Cくんは部活を休み、
先生の調査に対して、電話をくれたAくんも、
Cくんを庇う気持ちもあるので、あいまいに答え、
他の部員からもCくんかもしれないという報告も上がらず。

先生は
「今、Cくん本人に、やったんしゃないのかと訊くよりも、
子どもたちの方から声が上がるのを待ちたい。」と。

ただ、テニス部の仲間は、その日、息子には、
Bくんが目撃したことを教えてくれ、
息子の朝のもやもやはスッキリ。


3日目金曜日、動き始めた。
部長Dくんが先生に
「Cくんかもしれない。ボクたちで話し合いたい。」と。
おお、さすが部長Dくん。その日、肝心の目撃者Bくんは休み。

先生は
「子どもから自主的に声が上がって嬉しい。
彼らにひとまず任せたい」とのこと。

「先生にお任せします」と私。

4日目、5日目は土日とも雨で部活は中止。

6日目月曜日
部長Dくんと、目撃者Bくんが先生のところに行き、

「Cくんが壊しました。ボクたちが話して、謝らせる。
きっとCも反省してるから、先生はCくんを責めないでほしい。」

普段はやんちゃなBくんが、友達をかばう態度に先生も感激したそう。

7日目火曜日 動かず。

あんまり時間をかけすぎると、
罪悪感も、正義感も、なにもかもが薄れていくよなぁ。
期限をつけて対応してほしいと要望しようと思う。

8日目水曜日 一気に動く

下校途中に、Cくんが部長Dくんたちに付き添われて、
息子のところにやってきた。

「あれ、オレがやった。本当にごめん。」

この一言で、みんなの気持ちが救われた。

部長Dくんたちは、学校に戻り先生に報告し、
「Cは反省してるから、家庭連絡はしないでほしい」と嘆願。

美しい友情だね。

9日目木曜日
昨日、生徒から報告を受けた先生、この日、Cくんの特別指導。

「どうした?なにかイライラすることでもあるのか?」と
寄り添いつつ、素直な心を引き出していった。

「夜、家に電話するから、それまでに、
ちゃんと自分でお父さん、お母さんに言え」

その夜、Cくんのご両親から電話をいただいた。
一つ一つの言葉がとても誠実でいらっしゃって、
その分、お辛いだろうなぁ、苦しいだろうなぁ。

息子も「ボクはもういいと思ってるから、Cを叱らないでください。」って。

息子は、数日前Cくんとラケットのことを話したことを後悔していた。
Cくんに、しらばくれられたからではない。
「ボクが聞いたから、Cに嘘をつかせてしまった」と。

10日目金曜日
Cくん本人とご両親にお会いした。
丁寧に謝罪いただき、こちらの言いたいことはお伝えし、
それでシャンシャン。

なんで、壊したのか理由はわからない。
たぶん、本人にもはっきりとは分からないんだろう。
たまたまそこにラケットがあったから、他の子がコンコンぶつけて遊んでいた。
自分も手にとってコンコンコンコン…。
その時ふと「ワイルドで破天荒なオレ」を演じたくなったのかもしれない。

Cくんにとってはただのひびの入ったラケットかもしれない。
私にとっては、最初に買ってあげたラケット。
受験生の兄のストレス解消に付き合って、
夜の公園で兄弟ラリーをしてた想い出もある。
骨の折れたビニール傘を壊すのとは違うんだよ。
それはわかってほしいと思った。

想い出は私の心の中にある。
ラケットはもういい。

このラケットの一件、子どもたちのチカラで一番いい解決ができたと思う。
子どもたちはいろいろ考えて、より良い行動をした。
先生も勉強になったとおっしゃっていた。
そして、私たち親も、どうすればいいのかを考えさせられた。

私が望んだ「成長につながる指導」は、
図らずも大人たちの成長ももたらした。

こうなると、壊れたラケットがハート型に見えてくる。

その次の週末、テニスの区大会団体戦。
息子とCくんのペアも勝ち進み、なんと、団体優勝!!

できすぎだぜ。素敵すぎる。リアル中学生日記だ。

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2013年4月11日 (木)

祝辞

先日の中学の入学式での祝辞。
コピーをくださいって方がいらっしゃって、

ウレシハズカシ

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PTAを代表して お祝いの言葉を申し上げます

 

昨日までの恵みの雨と太陽の光で

○○山の若葉も輝いています

 

新入生の皆さん

ご入学おめでとうございます

 

また、大切に慈しんで お子様を育て 

今日の日を迎えられた保護者の皆様に

心よりお祝いを申し上げます

 

制服に身を包み 背筋を伸ばした姿に

中学生の誇りを感じます

 

みなさんの これから始まる中学校生活の3年間

輝く時も 心が縮こまる時も 

いろいろな時があることと 思います

 

どんな時もどんな自分の事も大切にしてください

 

どうやったら

自分が心からの笑顔になれるかを考えてください

 

どうやったら

周りの人の事も笑顔にできるのかを考えてください

 

そして どうするかを

自分で選んでください

 

また みなさんの傍には

一緒に悩み 相談に乗ってくれる人が 居るということを

頑張ろうという気持を 応援する人が居るということを

忘れないで下さい

 

私たちは いつでも 心の扉を

開いていたいと思っています

 

私たちの○○中学校は 広島市の
「まちぐるみ『教育の絆』プロジェクト」のモデル校で

家庭と地域と学校が力を合わせて 

生徒の皆さんの成長を支えています  

 

保護者の皆様

校長先生はじめ○○中学校の先生方と共に力をあわせて

子どもたちが安心して のびのびとした笑顔で

希望の翼を広げることのできる

中学校生活を送れるように

サポートしていきましょう 

 

ご来賓の皆様 地域の皆様 

本日はご多用な中 

子ども達の 入学を 共に お祝いいただき 

誠にありがとうございます

 

大人の階段を 一段一段 昇っていく子どもたちに

温かいお力添えとご指導を お願い致します  

 

最後に

○○中学校の子どもたちと ご列席の皆様の

今日から始まる新しい一年の

ご健康とご多幸をお祈りして

私からのお祝いの言葉とさせていただきます  

 

本日はおめでとうございます

平成25年4月8日
広島市立○○中学校PTA会長
岩元佳子

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2013年2月19日 (火)

やさしい虐待

「やさしい虐待」(長谷川博一氏)というのがあるそうです。

子どもにとってプラスに思える教育や躾(しつけ)に見えても、
ずっと押しつけ続けていると、子どもをがんじがらめにして身動きがとれなくなり、
いわゆる虐待と同じ様に心を蝕んでいくんだって。
それが「やさしい虐待」。

「やさしい虐待」は実母によるものが一番多く、そして深刻。

あらら、私もやっちゃったかも。

子を思う優しい心からの躾がエスカレートしたものだから「やさしい虐待」。
この子のために、ちゃんと躾なきゃという、本来はやさしい気持ちがベースにある。

「虐待」って殴ったり蹴ったり、暴言など、
直接子どもを傷つけるものだと思ってた。

将来に後遺症を残す危険性のある環境や、
支配-被支配の関係が強い環境にさらすことが虐待だから、
目に見えるものも、見えないものもある。

その「やさしい虐待」を受けて苦しんでいる人の中には、
社会性・コミュニケーション・予測想像などが苦手という
先天的な特徴を持った人(自閉症スペクトラム)が多くみられるそうです。

常識ある親としては、我が子のすることが周りとズレてたら
「わがまま言わないの!」「『ごめんなさい』って言いなさい」
「お友達におもちゃを貸してあげなさい」とか、
「1人で勝手なことしちゃだめ」とか、それは言うよね。
禁止・命令のシャワーになっちゃう。

人一倍躾に厳しくなって、それでも聞かないので
だんだんどんどんもっともっと厳しくなって
気づかないうちにその子にとって躾の枠を超えていくそうです。
母も苦しいんだ、辛いんだ。

厳しすぎる躾は、親の想いとは裏腹に、
子どもの問題行動に改善はもたらさない。
むしろこじれる。

親の意図しないところで、存在を否定するようなメッセージが
子どもに伝わっていくんだろうなぁ…。

見える虐待でも、見えない虐待でも
心に深い傷を受け、心を蝕まれた子どもは、
ある日突然タガが外れる。
他者に攻撃的になるか、自分を傷つける(自傷・自殺)か。
どっちにしても破滅へと向かうような自己否定。

なんて悲しいことだろう。
せっかく生んだ大切な魂の尊厳を、
親自身がそうと気づかずに踏みにじってるなんて。
厳しい躾はだれもHappyにならない。

どうしたらいいんだろう。

虐待を受けた子どもを守ることとと同時に、
加害者である親を守ることも大切なこと。
親に対するフォローが必要だと思う。
子どもを愛したいはずだもの。

私も、愛する息子に対して「やさしい虐待」をしていたかも。
私には、人に迷惑を掛けてはいけないという強い縛りがあったから。

コーチングに出会えてよかったと思う。
いいところに目を向けることや、ポジティブな言葉がけ、
大切に思っているということが伝わるように伝えること、
自分にも子どもにも他人にも肯定感をもてたこと、
人生を信じる力がついたこと‥など

傷ついた子どもに対してできることは、まず聴くこと。
聴いてくれる人がいるだけで、将来が変わる。
じっくり考えながら人に言葉で伝えるという経験を重ねていくことが
歪んでしまった脳機能の回復になるそうです。

じっくり考えながら言葉で伝える、これもまたコーチングの手法。

虐待の連鎖を防ぐには、
子どものころに理解者が居たかどうかと、
事実を正しく認識していたかどうかが大きいそうです。
自分が悪い子だから叩かれたのではないんだと分かること。

今の人口比は子ども1人に対して大人6人
私たちが子どもだった1970年代は子ども1:大人3
周りの大人の目が多くて、子どもにとっても、子育て中の親にとっても、
昔よりずっと窮屈なんだよね。
期待・支配・管理でギュウギュウなのかも。

周りの大人ができること
heart子育てしているお母さんを追い詰めない
heart孤立させない
適度に声を掛けるけど、モラルを押し付けないことかな。

 
 
  
大人の期待通りに子どもを変えられはしない。

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2012年9月22日 (土)

無知の涙

「今日の刑事政策について」
…といういかめしいタイトルの講演に出席しました。

保護観察官の方の生々しい話で、興味深かったです。

仮釈放になると保護観察を受けることになる。
保護観察を受けた人の方が、満期でそのまま社会に戻る人よりも、
再犯率が低いそうです。

保護観察官または保護司との「関わり」があることによって、
自ら更生への道を選ぶことができる。

また、何度も何度も刑務所に入っている高齢者の話も考えさせられました。
その人にとっては塀の中の方が生きやすいとか。
長期の受刑で、タンス作りの腕は一流。
若い受刑者からは「おやっさん。おやっさん。」と慕われ、
新米刑務官よりも、刑務所のルールに精通している。

長い人生の中で褒められたのは、
刑務所の中でいいタンスを作った時だけ。
優れた作品を作った時は、表彰を受け、
そのときは特別に紅茶とケーキがふるまわれる。
人生最高の自己有用感をここで感じる。

ああ、それは戻りたくなるよなぁ…。

でも、齢80を過ぎ、最期は普通のおじいさんとして終わりたい。

保護観察官の方は、社会の中で、
そのおじいさんの居場所をつくってあげようと
奔走していらっしゃるそうです。

窃盗などを繰り返してるとなると、
受け入れ側も、はいどうぞとはなかなか言えないよね。

きれいごとかもしれないけれど、
その高齢受刑者が老人福祉施設に入って、
入居者のおばあちゃんと恋をして、
なんてことが人生の最終章にあってもいいんじゃないとも思う。

もし、それが殺人を犯した人なら、
それでも私はこう思うのだろうか。

罪を重ねている少年がポツリと言う。

「オレ、なんで生まれてきたんだ」

この話を聴いて涙がこぼれた。
この少年が永山則夫元死刑囚のような「無知の涙」を流す前に、
生きている意味を見つけられますように。

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2012年7月 6日 (金)

自分に感謝

『自分に感謝する』
…そんなこと、思ったことなかった。

何気なく見てたテレビにさかなクンが出てた。
「タコの不思議に魅せられて さかなクン イタリア・ナポリ」

さかなクンが、ナポリ臨海実験所のタコ研究の権威フィオリト教授に弟子入りして、
苦手意識をもってるという「正確で地道な実験」をしていくドキュメンタリー(?)

タコってとってもお利口さん。
ビンのネジ蓋をくるくる回して中のカニを捕まえることを学習するの。
学習してないタコは、最初、ビンの中のカニに見向きもしないんだけど、
学習した先生だこが蓋を外してカニを食べる姿を見て、
自分も学習して蓋を外して食べることに成功。

さかなクンの純粋な好奇心や、タコの賢さに惹かれて番組を楽しんでたのですが、
このフィオリト教授がすごい人。
緊張したさかなクンが実験を失敗しても、笑顔で対応して、的確な善後策を指示。
さらに失敗を重ねるさかなクンにも、全く動じずに、さかなクンを励まし続ける。

長い時間かけて準備した実験機材が、実際の海では役に立たなかった時も、
自分が準備したものにはこだわらず、
助手の別の提案をいともあっさり受け入れ
実験の舵を大きくきった。

フィオリト教授は、自分の考えた結果に実験をはめ込むのではなくて、
むしろ、タコが自分の考えを覆してくれることが楽しくてたまらない様子。
もしかしたらさかなクンに対してもそうなのかも。
好奇心がすべてを凌駕しているというのかな。

「もっと疑問を持って」というさかなクンへのアドバイスも頷ける。

番組の最後に、さかなクンに「君のココが素晴らしい」と褒め、
さかなクンが「ありがとうございます」と頭を下げた時のこと、
フィオリト教授はさかなクンに言いました。

「私に感謝する必要はない。自分に感謝すればいいんだよ。」

そういう自分であることに感謝するんだって。

あらゆるものに感謝しなさいはよく言われることだし、

しかたないよと、自分を許す
これも私と、自分を受け入れる
よくやったと、自分を褒める、
がんばれ~と、自分を励ます

…なんてことも、ポジティブでありたい私はしていると思う。

だけど、「自分に感謝」はしてないなぁ。
目が見えることに感謝したり、完歩した両足に感謝したり、
パーツごとにはあるんだけど、
自分丸ごとに「感謝」って発想がなかった。

「ありがとう、私」

勝手に胸が熱くなった。

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2012年5月25日 (金)

怒りは私の心の中に

昨夜、息子とケンカした。
なんであんなに腹が立ったのか、
とにかくとにかく腹が立って仕方がなかった。
家族も私のいつにない様子に驚いてた。

実は、私も驚いてた。

「なんでかな~」と今日一日考えていたら、
夜の会議中に、全然関係ない話なのに、思い当たることがふっと湧いてきた。
潜在意識からあぶりだされてきたのかな。

昔、むかし働いていた職場での話。
私はあろうことか窃盗の疑いをかけられた。
私の人生最大のディスカウントだった。
人を殺したいと思ったことはないけど、
噂を流している人のことを死ねばいいのにと思ったことはある。

思い出したくもない出来事だったし、
いつの間にか時の流れとともに、記憶にも蓋がされていた。

その蓋をされた記憶が、
昨夜の息子との会話で、彼のバッグから水筒を取り出した私に、

「ボクのバッグから盗んだの?」

と言った彼の言葉に激しく反応した私の心と繋がってたんだ。

昨夜はそのことを思い出さなかった。
そこまでは、思い出したくない記憶の蓋がちゃんと閉じてた。

今日一日かけて、自分でその蓋を開けてしまった。
あぁあ。なんて面倒なことをしてしまったんだ。
お片付けしなきゃいけないじゃないか。

四半世紀も前の出来事なのに、心に傷として残ってたんだね。
そのころは泣き寝入りするしかできなかったけど、
おばちゃんになった私は、
「なんで『盗んだ』なんてことを言われなくてはならないんだ。
私は今まで一度も人のものを盗んだことは無い。
キミの言ったことはとっても失礼だ。」って
泣かずに息継ぎ無しで言える。

「盗む」という言葉の重さが、私と息子では、鉛とアルミぐらい違ったんだな。
それが理解できたら、息子に対する怒りは無くなった。

もしかしたら、うら若き乙女の負った心の傷も、
おばちゃんの怒りのパワーによって癒されたかもしれない。
まあ、これで良しとしよう。

怒りの原因って、私自身の心の中にあるんだなぁ。
息子には正直に話して謝ろう。

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2012年5月21日 (月)

PTA会長 拝命!!

先週末のPTA総会で承認され、地元の中学校のPTA会長になりました。
ほんまかいなと思ってましたが、やおら、現実味を帯びてきて、
そしてとうとうその日が来ました。

コーチングや心理学には教育の現場で役立つことがたくさんあるので、
子ども達の笑顔のために、貢献できることを考えていきます。

執行部経験もない、地元に人脈もない、土地勘もない、
ないない尽くしの私に向けて、白羽の矢をつがえていたことは
まったくの驚きでした。

会長に適格である認めてくださったことは余りある光栄だけど、
長男の幼稚園入園以来14年、
親として最低限のノルマのPTA活動しかしてなかったし。

したいかしたくないかと言えば、したくない。
できるかできないかと言えば、質はさておきなんとかできそうな気はする。
やるべきかやらざるべきかと言えば、やったほうがいいのかもしれない。
で、するか、しないか。これは大きな選択。

会長になったときに共に仕事をする新執行部の方々とも場を持ち、
何がベストなのかを話し合いました。

その中で、この方々となら楽しいことも苦しいことも一緒にできると思い、
末子の義務教育最後の2年間、会長としてお礼奉公することにしました。

4年前の春に、ここに引っ越してきたときには、
そんなことは想像だにしませんでしたよ~。
転校初日に、意気揚々と登校した息子は、
新調した制服が色とりどりのチョークの粉だらけになって、帰ってきたんですから。
厳しい洗礼を受けたものだ。

彼は激しく自尊心を傷つけられたに違いないけど、
その自尊心を失うことはなかった。
中学を卒業する時には、たくさんの仲間に囲まれていた。

ある意味では、息子たちの中学生活でのあり方が、
私を、今、この立場に押し上げてくれたのかもしれない。

とはいえ、P(保護者)とT(先生)合せて592名もの組織ですから、責任重大。
頑張りますrock

2年後、前会長に「白羽の矢を立ててくれてありがとう」と
心からの笑顔で言おう。

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2012年5月 2日 (水)

文武両道

昨夜からバッグに入れっぱなしになってた携帯を昼前に見たら、
すでに数件の着信・受信アリcoldsweats02 しまった。

どれも「おめでとう」コメントでした。
んんん?なんだろう。

今朝の中国新聞に長男の部活の戦績が載ってたそうです。
どれどれ

あ~、載ってます。県大会優勝の栄誉。
ほほ~っ。こうして記事でみるとスゴイ。

祝福をありがとうございます。
広島で暮らして4年。
こうして「おめでとう」って言ってくれる友達が
私にもできたってことも嬉しいな。

試合があったことはもちろん知ってたし、
その試合で1位だったことも知ってたけど、
息子の口調から、練習試合だと思ってた。

きっと、本人的には、この勝利は通過点で、
もっと上を目指してるってことかな。
インターハイも夢ではない…かも。

彼は、今、高校3年生。
進学校ゆえ、周囲は3年生になるとボチボチ部活を引退し、
課外授業を受け、受験へとシフトしている時期です。

部活も進路も、自分で納得して進むことが一番。
与えられた負荷に耐える力と、
その力の抜き方・抜き加減を体得する時期でもある。

青春だねshine

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2012年4月24日 (火)

たとえ胸の傷が痛んでも

前回の更新から実に13か月coldsweats01
人間関係も同じですが、間が空くと敷居が高くなりますね~。

なんだか父や兄の死が心に引っかかっていて、
何かを書こうとすると、とても私事になりそうで、それに抗ってました。
私は自己完結型で、自分で消化&昇華する質で、
自己開示が下手なんだろうと思う。
きょうのブログはガッツリ私事です。

先日、あい塾(こどもの心育てのコーチング茶話会)の後で、
参加者のみなさんとランチしながらの会話で、
アンパンマンのマーチの話になりました。

♪そうだ うれしいんだ 生きる喜び
♪たとえ 胸の傷が 痛んでも

♪何のために生まれて 何をして生きるのか
♪こたえられないなんて そんなのはいやだ

「何のために生まれて、何をして生きるのか」
この深い問いは哲学です。

こどもを育てる中で、この歌と出会い、新米ママ時代に哲学しました。

肉体は若いころをピークにやがて衰えていくけれど、
精神的に成長し続けるために生きる。

…という答えにたどり着いて数年後、父が認知症に。

あれぇ?

父の精神的な成長は止まってしまった、それどころか後退している。
私の見つけた答えは間違ってた。

そんな話をしたら、介護の仕事をしているAyaさんが素敵なことを教えてくれました。

「それは、周りの人を成長させるためじゃないかな」

そうなのか、ウチのお父ちゃんは私を成長させるために惚けたのか!!
眼からウロコが剥がれ落ちた気がしました。

自分が成長した次は、自分の周りの人を成長させるために生きているんだ。

確かに、父の最期の数年を通じていろいろなことを感じ学び成長したと思う。

一番初めは、父の排泄物で汚れた病室を掃除しながら、
大好きな父が壊れていっていることが辛くて涙が出た。
無神経な母は「そんなに臭い?」って言ってたけど、そうじゃ無い。

一度だけ、物を見るような感情のない目で見つめられた時も悲しかったなぁ。
それ以外は、私のことが誰なのかわからなくなっても、
ずっと愛情深い眼差しをくれている父を愛しく思ってた。
表層意識はどこかにとんでしまっても
父の潜在意識の中でちゃんと「佳子」が存在しているって確信を持てた。

父は私を激しく愛していた。
たとえ、私が法に触れる悪いことをしたとしても、
アウトローの父は私を命を懸けて守ってくれただろうと思う。
だから、私は悪いことはできなかった。父を悲しませることもしなかった。
今も、「ああこんなことしたら、お父ちゃんが悲しむ」と思うことが、
何かの抑止力になってる。

人は、肉体はやがて衰え滅びても、
その精神は成長し続け、やがて周りの人を成長させる存在となる。
その命が尽きても、周りの人を成長させ続けている。
そのために生まれ、生きている。

Ayaさん、ありがとう。

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2011年3月25日 (金)

サマータイムブルース

1988年
素晴らしすぎて発売できません
という新聞広告と共に発売中止となった
忌野清志郎さんの名曲。

あの頃、恐ろしくて目を背けていたこと、
楽観することで目をそらしてきたことが、
現実に起きてしまった。

http://www.youtube.com/watch?v=aJdMa1VI0do

RCサクセション
サマータイムブルース
オリジナル歌詞: E. Cochran & J. Capehart
替え歌詩: 忌野清志郎

暑い夏がそこまで来てる
みんなが海へくり出していく
人気のない所で泳いだら
原子力発電所が建っていた
さっぱりわかんねえ、何のため?
狭い日本のサマータイム・ブルース

熱い炎が先っちょまで出てる
東海地震もそこまで来てる
だけどもまだまだ増えていく
原子力発電所が建っていく
さっぱりわかんねえ、誰のため?
狭い日本のサマータイム・ブルース

あくせく稼いで税金取られ
たまのバカンス田舎へ行けば
37個も建っている
原子力発電所がまだ増える
知らねえ内に漏れていた
あきれたもんだなサマータイム・ブルース

寒い冬がそこまで来てる
あんたもこのごろ抜け毛が多い
それでもテレビは言っている
「日本の原発は安全です」
さっぱりわかんねえ、根拠がねえ
これが最後のサマータイム・ブルース

あくせく稼いで税金取られ
たまのバカンス田舎へ行けば
37個も建っている
原子力発電所がまだ増える
知らねえ内に漏れていた
あきれたもんだなサマータイム・ブルース

電力は余ってる、
要らねえ、もう要らねえ

電力は余ってる、
要らねえ、欲しくない

原子力は要らねえ、
危ねえ、欲しくない

要らねえ、要らねえ、欲しくない
要らねえ、要らねえ、

電力は余っているよ
要らねえ、危ねえ、

Love Me Tender
オリジナル歌詞: E. Presley& V. Matson
替え歌詩: 忌野清志郎

何言ってんだー、ふざけんじゃねー
核などいらねー
何言ってんだー、よせよ
だませやしねぇ
何言ってんだー、やめときな
いくら理屈をこねても
ほんの少し考えりゃ俺にもわかるさ

放射能はいらねえ、牛乳を飲みてぇ
何言ってんだー、税金(かね)かえせ
目を覚ましな
たくみな言葉で一般庶民を
だまそうとしても
ほんの少しバレてる、その黒い腹

何やってんだー、偉そうに
世界の真ん中で
Oh my darling, I love you
長生きしてえな

Love me tender, love me true
Never let me go
Oh my darling, I love you
だまされちゃいけねぇ

何やってんだー、偉そうに
世界の真ん中で
Oh my darling, I love you
長生きしてえな

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2011年2月 4日 (金)

私の「引き出しの中のラブレター」

昨年、映画「引き出しの中のラブレター」の
ツイッターで想いをつぶやこうキャンペーンでツイートしたら、DVDが当たっちゃった。
どうしても辛くなりそうで、届いてからも、なかなか見られなかったのですが。
今日、これからテレビでも放映されるそうです。

ツイートしたのは兄への想い。

.@hikilove
お見舞いの後、留守電に「楽しかった、ありがとう」って不自由な声。
「嬉しい」って瞬間の気持ちではなく、
「楽しい」って一緒に居る時間への想いが辛いよ。
赦した筈なのに、残された時間は少ないのに、ありがとうが言えなくてごめん。
本当はウチも楽しかった、ありがとう。】

病気のため、もう長くはない命だとわかっていたけれど、
複雑な思いが交錯して「ありがとう」が言えず、
その代わりに、ツイッターでつぶやきました。

私が両親の老後のためにと積み立てていた貯金まで、
こっそり全部使って自己破産して、
仕事も心の健康も体の健康も失い、自らの人生を破綻させた兄。

子どもの頃は憧れだったはずの兄の存在は、
いつしか恥ずかしく情けない存在となり、
夫や子どもたちに申し訳なくて、兄との縁を切れるものなら切りたかった。
でも、兄を見捨てれば、母が悲しむ。
母の苦悩を私が見て、私の苦悩を私の息子達が見てる。
だから赦そうと決めました。

末期には、進行性鼻壊疽で鼻は崩れ落ち、眉間に穴が開き、目は失明と悲惨でした。
独身の兄にとって、私がある意味で拠り所であることはわかっていたから、
お見舞いに行った時は、ことさら子どもの頃のように「にいちゃん、にいちゃん…」って
時には何時間も筆談を交えて話して帰りました。

ちょうど去年の今頃でした。
お見舞いの帰り、ケータイの留守電に
「楽しかった。ありがとう」って、ままならない言葉を、一生懸命な声で。
私と過ごす残りの時間を大切に感じていた兄の思いに涙が溢れました。
私は兄の存在に「ありがとう」って言ったことが無い。
この優しい声を偲ぶ日が近づいて来るのが辛くて、すぐに消去しました。

このツイートから1ヶ月もたたないうちに兄は逝ってしまいました。

結局、私は兄に「ありがとう」が言えないままでしたが、
あのツイートを@hikilove久保田真生さん(映画の主人公のラジオパーソナリティ)が、
「想いが届きますように」と寄り添って祈ってくれたことで救われた気がしました。

ツイッターがまるでラジオ番組のようで…。(あっ、それを狙った企画でしたね。)
ラジオの好きだった兄なので、病室のラジオから、
言葉にできなかった「ありがとう」が届いてたらいいなと…。

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2011年1月28日 (金)

もしも世界がクライアントだったら ~It's time to move on.~

日本コーチ協会広島チャプターで
CTIジャパンCEOの榎本英剛氏を招いての講演会を開催しました。

榎本氏によるとコーチングとは
「誰かをエンパワーすることで、望ましい変化を創り出すこと」

エンパワーの反対は無力感。
エンパワーメント(Empowerment)とは
ウィキによると「個人や集団が自らの生活への統御感を獲得し、
組織的、社会的、構造に外郭的な影響を与えるようになることである」。
権力・権限・特性・能力を授けて、自律的に行動できるように支援すること、
そしてその輪が広がることかな。

もしも世界がクライアントだったら…
地球全体を宇宙から見てるような感覚で、
大地や海、地球上の生きとし生けるものとその営みを感じたなら???
これは神の目線に近づくことなのかも知れないって思う。

その感覚を保持しつつ、
目の前に居るクライアントさんを見つめると、
クライアントさんの向こう側に居る人を感じる。
その人の向こうにもそのまた向こうにもつながっている。
一人の人の心の中のことと世界って実はつながっている。

ミクロのコーチングがマクロのコーチングにつながっている。

実際、榎本さんが私の目の前に居る時、
榎本さんは私という存在を懐に擁きつつ、
同時に私に繋がる世界の全てを包み込んだ感触がした。
そこに居る一人一人みんなに対してそうだった。
机の上の話ではなく、実際に榎本さんはそうだった。

「どうやったらそんなに人を覚えられるんですか?」
「覚えようとするんです」と榎本氏
単純明快。
自然に覚えるのではなくて、意識として顕在化させて覚える。

そもさん「内なる声を聴くには?」
せっぱ「普段から自分との対話に感覚を研ぎ澄ましておく」
‘calling’が降臨するらしい。

「内なる声」は得てして今の自分には都合が悪く感じるもので、
そんなこと言ったって…って、合理的ないろいろな言葉が頭を駆け巡る。
それでも「内なる声」は聴こえてくる。

私の内なる声はなんと言っているんだろう。
クライアントさんの内なる声はなんと言っているんだろう。
callingの降臨を聴き逃さないようにしよう。

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2010年9月29日 (水)

第九ひろしま2010

初めて第九に挑戦中です。
「第九」とはもちろん、ベートーヴェンの交響曲第9番。
12月の第九イベントの合唱団に入団しました。

理由は2つ。
一つは、『ヒロシマ第九伝説』と出会い感銘を受けたこと。

被爆翌年の大晦日、
広島市の音楽喫茶「ムシカ」でかけた第九のレコードが、
市民に生きる勇気を与えたという伝説です。

http://daikudensetu.hp.infoseek.co.jp/
http://www.city.hiroshima.lg.jp/minami/gaido/dennsetu/daiku/daiku.html

もう一つは、第九の好きだった亡兄への鎮魂歌として、
読経やお祈りの代わりに。

歌ってみると、これが想像以上に難しい。
カラオケJポップシンガーの私には難行苦行。

アルトは音が取れない、ソプラノは高音が出ない、
どっちにしても歌詞はドイツ語。
そして、致命的にも私は楽譜がイマイチ読めない。

高い音は練習で出るようになるらしい。
ソプラノにしよう。
ドイツ語はありがたいことに、カタカナの歌詞が楽譜の巻末についてた。
大学時代に2年間ドイツ語を習ったじゃないか。
パート別の練習用のCDもあるらしい。

なんとかなるかもしれない。

パート練習に参加してみると、
指導してくださる先生の個性の違いが、とても面白い。

最初の先生は
笑いを交えて緊張を解きほぐしながら、
コーラスをのせてのせてのせて、
気が付いたらみんな声が出てるって感じ。
体感覚が優位なタイプ。

次の先生は
「歓喜の歌」の詩の意味を、私達にわかるように伝えてくれて、
だからこの言葉を大切に歌うんだと、私達の内側へアプローチ。
言語感覚が優位。

その次の先生は
ドイツ語の発音と、音符の一つ一つに、
この単語のこの文字を載せるってことの
解説が実に分析的。
聴覚優位かな。

とってもあたりまえだけど、3人とも歌うことも教えることもお上手。
綺麗な声が出るようになること、
歓喜の歌の意味がわかること、
ドイツ語をそれらしく発音できること、
どれも大切な要素。

老若男女、仕事もさまざま、
素人も居れば玄人も居る集団で、
ひとりひとりの可能性を最大限に引き出す。
これはコーチング的だなぁ。

12月の本番ももちろん楽しみですが、
それまでのプロセスも楽しみ。ムフフ。

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