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2009年7月23日 (木)

ちょっといい話 ~みかんの祈り

子どもの通う中学校の校長先生のお話です。

学校長に就任することか決まり、
校長先生の年老いたご両親に報告した時のこと。
お母さまは
「おまえのような未熟者が校長先生になるとは、心して頑張らないと…」と。
それを受けてお父さまが
「我が家の人間はみんな、未熟者。柑橘農家じゃけぇ、ミカン(未完)よ。」
とおっしゃられたそうです。

校長先生のご実家の蔵の外壁には、一部塗り残しがあるそうです。
わざとそうしてあるのだそうです。まさにミカン(未完)の蔵です。

完成したらあとは衰退していくのみ。
完成に慢心するのではなく、
完成に向けて、向上心を持ち続けよという意味合いがあるのだそうです。

もうひとついいお話。
校長先生は教頭先生であった頃からずっと、
朝、正門に立って生徒たちに「おはよう」と声を掛けていらっしゃいます。
新年度が始まったばかりのある日、奔放な生徒が
「校長になったんか?」
と、フレンドリーに話しかけてきたそうです。
校長先生が
「そうなんじゃ。誰が決めたんじゃろうの。」と応えたら
「そんなことも分からんと校長になったんか?」と、その奔放な彼。
しばし考えた後、
「それは、みんなよ」
と言い残し、また彼はどこかに行ったそうです。

この二つのお話を校長先生から伺って、いろいろなことを感じました。

校長先生ほどの人になっても、親からみたら子どもは子ども。
いくつになっても、心配し、励まして、子どもの幸せを祈るんですね。
素敵なご両親に育てられたからこそ、
人を育てる教育の道を志したのだろうと思いました。

雨風の強いとき、日照り続きの時、
人生でギリギリのところで踏ん張れるかどうかは、
根っこの広がりと、強くてかつしなやかな幹があるかどうかだと、
いろいろな方と接していて思います。

親の正しい愛情は、子どもの根っこをしっかり大地に広げます。
それはいくつになっても変わらずに、
枝葉が伸びても、揺れても、折れても、落ちても、そこにあります。

私は親として、子どもたちの根っこをいかに大地に広げるか、
いくつになっても祈り続けることでしょう。
それこそ、完成のない未完の祈りとでも言うのでしょうか。

もう一つの「みんなよ」の話も深い話でした。

「虫の目、鳥の目、魚の目」という言葉があります。
簡単に言うと、
虫の目は近いところで複眼的に物事をみること。
鳥の目は高いところから根本的・全体的に物事を見ること。
魚の目は流れを長期的な視野で見ること。

私は、校長先生からその奔放な生徒との会話をお聞きして、
「みんなよ」という言葉を聴いたとき、
ぐ~っと空に上がって「鳥の目」で物ことが見えた気がしました。

より良くあろうと思い続け、
何事からも謙虚に学ぼうとする姿勢に打たれました。

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