心と体

2016年7月10日 (日)

HIPRAC(ハイフラック)

区内に新しくできた「広島がん高精度放射治療センター」の公開セミナーに行きました。

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一生のうち2人に1人ががんになるとか、死因の1位はがんだという統計もあり、
日本人個々が昔よりもがんになりやすくなってきているのかと思っていましたが、
そういうわけではないみたいですね。
少子高齢化によって統計上そう見えるとか。

今回は高精度放射線治療についてとても分かりやすく教えてくださいました。

すごいですね。
体内のがんの位置を数ミリ単位で正確に把握して、
腫瘍の形にぴったり合わせていろんな角度から放射線治療ができるんですって。

しかも、追尾照射機能があって
呼吸による患部の動きに追従した照射ができるそうです。

患者さんの体形にあわせた鋳型(?)でマットを作って、
その上に横になることによって身体が固定されるるそうです。

痛みもないとか。

正常な細胞・臓器へのダメージは少なく、機能温存・形態温存が可能。
もちろん、どんながんにでも適応というわけではないそうですが。

講演してくださった永田センター長はもちろん、
センターのスタッフのみなさんも感じが良かった。
建物も明るく、治療機器そのものの圧迫感恐怖感もなかった。
ここに来るときは不安な気持ちを抱えているだろうから、こういうことも大切。

なによりも早期発見が大切とのこと。
そして、正確な情報を落ち着いて集めること。
担当医としっかり話し合うこと。
肝に銘じます。

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2012年5月25日 (金)

怒りは私の心の中に

昨夜、息子とケンカした。
なんであんなに腹が立ったのか、
とにかくとにかく腹が立って仕方がなかった。
家族も私のいつにない様子に驚いてた。

実は、私も驚いてた。

「なんでかな~」と今日一日考えていたら、
夜の会議中に、全然関係ない話なのに、思い当たることがふっと湧いてきた。
潜在意識からあぶりだされてきたのかな。

昔、むかし働いていた職場での話。
私はあろうことか窃盗の疑いをかけられた。
私の人生最大のディスカウントだった。
人を殺したいと思ったことはないけど、
噂を流している人のことを死ねばいいのにと思ったことはある。

思い出したくもない出来事だったし、
いつの間にか時の流れとともに、記憶にも蓋がされていた。

その蓋をされた記憶が、
昨夜の息子との会話で、彼のバッグから水筒を取り出した私に、

「ボクのバッグから盗んだの?」

と言った彼の言葉に激しく反応した私の心と繋がってたんだ。

昨夜はそのことを思い出さなかった。
そこまでは、思い出したくない記憶の蓋がちゃんと閉じてた。

今日一日かけて、自分でその蓋を開けてしまった。
あぁあ。なんて面倒なことをしてしまったんだ。
お片付けしなきゃいけないじゃないか。

四半世紀も前の出来事なのに、心に傷として残ってたんだね。
そのころは泣き寝入りするしかできなかったけど、
おばちゃんになった私は、
「なんで『盗んだ』なんてことを言われなくてはならないんだ。
私は今まで一度も人のものを盗んだことは無い。
キミの言ったことはとっても失礼だ。」って
泣かずに息継ぎ無しで言える。

「盗む」という言葉の重さが、私と息子では、鉛とアルミぐらい違ったんだな。
それが理解できたら、息子に対する怒りは無くなった。

もしかしたら、うら若き乙女の負った心の傷も、
おばちゃんの怒りのパワーによって癒されたかもしれない。
まあ、これで良しとしよう。

怒りの原因って、私自身の心の中にあるんだなぁ。
息子には正直に話して謝ろう。

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2009年11月24日 (火)

受け取りにくいフィードバックを受ける時

こんにちは、BrightAssistの岩元佳子です。

前回は、フィードバックの仕方について話しました。
では、受け取りにくいフィードバックを受け取る時どうしましょう。

本音を言うと、褒めてくれるなら聞きたいけれど、
悪いところを言われるのなら聞きたくないです。

受け取りにくいフィードバックの球を投げられたなら、

①仕返しに厳しいフィードバックを投げ返す。「そういうあなたはどうなのよ!!」
②ガードを固くする。「もうそんなこと言わせない」
③理由、言い訳を言う。「だってそれは…。」
④反発する。「自分の都合のいいように言ってるだけじゃないか」「思い遣りが無い」
⑤その場は黙って聞いて、人に言って発散する。「ちょっと聞いて、ひどいこと言われた」
⑥球を受けすに見送る。「聞かなかったことにしよう」


人は、自分の気持ちが傷ついたら、それをなんとか修復しようとして、
過剰に反応したり、逆に無反応になったりします。

フィードバックを自分にとっていいこと悪いことという基準で捉えたら、
不都合なことに対して、防御反応は起きるべくして起きます。

私がこれまで出会ったコーチの先達たちは、
耳の痛いフィードバックを受ける時に、
対応する自我状態を意識的に、しかも瞬時に、作ることが上手いのです。

『自分自身の中に、スーッと入って通り抜けるイメージで』
『ガラスのバリアを張って、通過した光を受け止める感じで』
『北風くんよ、こんにちは。そして、すぐ、さよなら。って呪文を唱える』

どれも、その時、内容を受け止め、感情的に引きずらないということです。

また、日々のコミュニケーションの中で、不意打ちに、
自分に対する評価・批判・忠告・強制を受けることがあります。
心の準備も無いですし、ダメージ受けたりしますよね。
360度フィードバックも、導入の仕方によって、
フィードバックの名の下に、不満がつづられていたりします。

そこにある事実は、相手が、その人が、
そう言った、そう思った、そう感じた、ということだけ。
それ以上でも、それ以下でもない。
実際のあなた自身がどう在るかは、また、別の話です。

大切なのは、そこから何を学ぶかです。

こちらが主導権を持ってフィードバックをもらう時には、
コントロールする方法もあります。
「いいところ3つと、改善点3つ お願いします」
「できるだけ具体的なアドバイスをお願いします」
というリクエストをこちらからすれば、
有益なフィードバックをもらいやすくなります。

こうしてるうちに、だんだんフィードバックに耐性ができてきます。
蛙の面に水のごとくとはならないまでも。

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2009年11月12日 (木)

当たり前

こんにちは。岩元佳子です。

先日、眼科に持病の検診と眼鏡の新調のために行った時のこと。
レンズを合わせていたのですが、どうにもピントが合わず、
乱視を入れても、物が二重に見えるのです。
ドクターの診察を受けてびっくり。
上下斜視を指摘されました。

「右目で見たときと、左目で見たときと、
 見えてるものの高さが違って見えるでしょ。
 斜めに動きませんか?」とドクター。

「はい」と私。「…それが何か?」と頭の中で呟く。

えっ!?

みんな、右目で見たときと、左目で見たときの高さが同じなの?

私にとっては、右目だけで見たときの景色と、
左目だけで見たときの景色は
斜め上と斜め下にスライドして見えるのが当たり前でした。
子どものころからずっと。

右目と左目で違って見えることを、
「何でだろう?」と疑問に思ったことはあり、考えた末、
立体で物を見るために必要なことなんだろうと理解してました。
でも、それが、私に特徴的なことだとは、疑ったことさえありませんでした。

私にとっての「当たり前」が、他の人の「当たり前」と違っていることを知り、
驚くとともに、なんて人間は面白いんだと思いました。

文字通り、人によって物の見え方が違うんですから。
「哲学」の始まりってこんなことなのかしら。

「当たり前」を疑うこと、疑問に思うこと。
私はりんごが落ちても疑問に思わないけれど、ニュートンさんは疑問に思った。
物事の原理・法則・共通性の「当たり前」を探求するのが哲学する心かな。

人としてのルールの「当たり前」は、
挨拶をするという「当たり前」から、
人を殺してはいけないという「当たり前」までいろいろ。
それも文化や宗教によって、いろいろな当たり前があることでしょう。
国家の当たり前、地域の当たり前、組織の当たり前、家庭の当たり前。
他の世界を知らなければ、その「当たり前」に気づくことさえないのかもしれません。

個人にとっての「当たり前」を、ちょっと疑ってみましょう。

例えば、
帰宅したらすぐにお弁当箱を出して洗うものだという「当たり前」。
ところが子どもは、弁当箱を出しません。
どうしたら私の言うことを聞かせることができるかと躍起になります。

ここで、発想の転換。
はたしてこれは「当たり前」か?
現に彼は、毎日言っても、私と同じ「当たり前」を持っていないではないか。
このお弁当箱は帰宅したら出すものだという「当たり前」を棄ててみよう。
お弁当箱がでてなければ、他のお弁当箱を使えばイイじゃない。

で、私のお弁当箱に詰めました。

すると、彼は言われなくてもお弁当箱を出すようになりました。
出さなかった罰を与えたつもりは全く無かったのですが、
ピンクのお弁当箱が彼にとっては「当たり前」では無かったようです。

面白いことに「当たり前」を手放したことによって、
望んでいた状態が手に入ったのです。

「当たり前」には、原理・法則・共通性のあるものと、
人によって作られた「当たり前」があるようです。

不必要な「当たり前」は、イラショナルビリーフと呼ばれ、
無いほうが楽に生きられます。

ニュートンさんには、なれませんが、
自分にとっての「当たり前」を疑ってみようと思います。
景色が違って見えるかもしれません。

ビリーフを手放すコーチングは、BrightAssistにお問い合わせ下さい。
http://bright-assist.com/

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2009年10月13日 (火)

言葉と精神

こんにちは。BrightAssistの岩元佳子です。

前回、統合失調症の人の話を少し書きましたが、
それとはまったく別のところで出会った人から、
関連する面白い話を聞きました。

その方は日本人で、ポルトガル語も話せます。
その方はポルトガル語を話していると、心が解放されるんだそうです。

日本語で話していると、日本語で考えてるから、
話しながら同時にいろいろなことを考える。
こんなこと言っていいのか、失礼は無いか、敬語は適切か…などなど。
ところがポルトガル語を話してると、そういうのが一切ない。
自分を制約するような言葉が頭に浮かばない。

…というんです。

使う言葉によって、性格が変わるってこと!?

なるほど。
私達は生活の中で言葉を使うことによって
体験を分類整理することができます。
つまり、人は日常の体験を言葉にしていく中で、
いろいろなことを感じ、考え、同時に
自分を制約する言葉も身に着けていく。

発達途中の幼児はみんな自分に肯定的で、万能感を持っています。
空も飛べると思ってます。
それは、モノを知らないだけでなく、
自分を制約し否定する言葉を身に着けていないから。

ということは、
制約し否定する言葉を使わなければ、気持ちが解放されるってこと。

前出の統合失調症の人に聞こえる声は、
当然ながら、ただの声ではなく意味のある言葉。
その言葉は、(本人的には違うそうですが)自分自身が作り出した言葉。
自分自身がその言葉を身に着けたのは、まわりの人との会話や関わりから。

人を壊すのは人なのかもしれない。

25歳で自殺した知人男性の口癖は、「どうせボクなんか」でした。
家族はその子を心配し必死で、
「『どうせボクなんか』って言うな。そうなこと言うからおまえはダメなんだ。」と。
それでなおさら、やっぱりボクはダメなんだと思い
「どうせボクなんか」の言葉を身につけ、その自縛から
逃れられなくなっていったのではないかと思います。

「どうせボクなんか」に象徴されるような否定的な言葉の積み重ねで、
そういうネガティブなプログラムが構成されていったのだと。

逆に、彼が、使う言葉を変えることができたなら、
ポジティブなプログラムに書き換えることもできただろうと思います。

無意識に行っている自分とのコミュニケーションの中で、
自分で自分を追い込んでいませんか?

セルフコーチングについては
BrightAssistまで。http://bright-assist.com/

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2009年10月 7日 (水)

閉鎖病棟

こんにちは。BrightAssistの岩元佳子です。

先日、精神科の閉鎖病棟に行きました。
私の幼い頃の憧れだった人のお見舞いです。

病棟入り口のドアのインターホンで用件を告げ、
扉の鍵を開けてもらい、看護士さんに病室を案内してもらいます。
他の入院患者さんたちは、
まるで子どものように私を凝視します。
精神科病棟に入るのは初めてで、
目に見えるものに大きく戸惑いながら、
わたしはまっすぐ前を見て歩きました。

ここにはいろいろな人が居ます。
うつや統合失調症のような心因性内因性の疾患の方も
アルツハイマー病・パーキンソン病
脳梗塞などの脳血管障害など脳の中枢神経の疾患の方、
アルコール依存症などの薬物中毒による疾患の方も。
解放病棟もありますが、
この閉鎖病棟は精神疾患の中でも重い症状の方が入院されています。

それまで持っていた精神科病棟のイメージとは全然違う
広々とした廊下、清潔そうなホール、明るい病室と、
イメージどおりに、勝手に外へ出られないドアの鍵と窓の鉄格子。
医療スタッフの詰所の前の部屋を覗くと、
シェルターのように頑丈そうな個室ユニットが並んでいました。

案内された部屋を見渡しましたが、
見舞いに来た其の人が居ません。
よく見ると窓際に見覚えのある面影の人が横たわっていました。
其の人はまだ50歳だというのに、老人のようになってしまってました。
アルコールの離脱症状が重く閉鎖病棟に。

丘の上に立つ病院の鉄格子の窓には、瀬戸の海が広がっていました。
天気も良く、穏やかな良い景色でした。

病室の洗面台に鏡がついてないことに違和感があり、、
見渡してみるとロッカーにも鏡がない。
廊下の向こうに見える手洗いにも鏡が無かった。
鏡そのものの物理的危険と、
鏡の中の世界を見ることの精神的危険があるのかなぁと考えました。

廊下の椅子に座り、其の人と二人で話しました。
私達の前をいろんな人が通ります。
運動のためなのか、広い廊下をひたすら往復する人が何人もいます。
突進するように歩く人、黙って静かに歩く人、
奇声を発する人、裸で歩く人、
独り言を言いながらずっと廊下を往復している人。
患者同士の会話が全く無いことも驚きました。

其の人が教えてくれます、
「彼らは、独り言を言ってるのではくて、僕らに見えない誰かと話してるんだ。
彼に話しかける声に応えてるんだよ。」

それが分かっていても、
社会の中で個人的にどう接していいのか、私には知識も経験も足りな過ぎる。

そこの閉鎖病棟は男性用で、50人ぐらいの方が入院していました。
それぞれに精神疾患を患い、それぞれに家族が居て、
それぞれが上っ面の言葉だけでは語れない、
それそれの思いを抱えて生きている。

社会から隔離された濃縮された空間。
ほんの1時間の濃い体験でした。

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2009年5月18日 (月)

悲嘆のプロセス ~悲しみ苦しみの乗り越え方

こんにちは。BrightAssistの岩元佳子です。

人生の中で、身近な人・愛する人の死は大きな試練です。
この試練を上手く乗り越えて、
悲しみから立ち直ることができればいいのですが、
上手く乗り切れないと、心身の健康を損なうこともよくあります。

上智大学名誉教授で神父である
アルフォンス・デーケン氏(Alfons Deeken)の生死学では、
残された人々の、悲嘆のプロセスを12段階に分析しています。

悲嘆のプロセス(grief prosess)

 1.精神的打撃と麻痺状態
 2.否認
 3.パニック
 4.怒りと不当感
 5.敵意とうらみ
 6.罪責感
 7.空想形成ないし幻想
 8.孤独感と抑うつ
 9.精神的混乱と無関心
10.あきらめー受容
11.新しい希望ーユーモアと笑いの再発見
12.立ち直りの段階ー新しいアイデンティティの誕生

ここに↓詳しく書かれています
http://www.cmh.ne.jp/m-health/death.html

愛する人を失った人が、全てこの12のプロセスを通るわけでなく、
必ずしもこの順序通りに展開するとは限りません。
複数の段階が重なって現れることもあり、
立ち直るまで最低1年くらいはかかるそうです。

私は父を失って、父の死を納得するために、
宗教の本など人の生死について書かれた本を読みあさりました。
その時期にたまたま放送大学で「悲嘆のプロセス」を知り、
自分の今の苦しみは愛する人を失った者の通る道であり、
大きな意味があることだということを知りました。

それまでは悲しみの感情におぼれそうなくらいでしたが、
「自分は、今、悲しんでいる」ということを、客観的に
高いところからちょっと自分を見おろすような視点を持ったことで、
自分自身が楽になりました。

もう一つ、楽になれた要因は、
それまで、私は泣く事もせず、感情を吐き出せずに溜めていたのですが、
朋友と話しているうちに、我慢できなくなって感情を吐露したことで、
驚くほど楽になりました。

感情の俯瞰(ふかん:高いところからみおろすこと。)と吐露で救われました。

3年経った今も、父を思うと涙が出ますが、
父を失ってしばらくの間苦悩した罪責感からは解放されました。

富は誰にでも平等には訪れませんが、死は全ての人に必ず訪れます。
宗教を拠り所にする人も多くいらっしゃいます。
予防医学的に「死への準備教育」があるならば、
「死」に、タブーを破って向き合うことで、
その「悲嘆のプロセス」を上手に乗り越えられるのではないかと思います。
(私の場合、義母が愛情深く
「辛いでしょうけど覚悟をしておきなさいよ」と言ってくれたことは、
「死への準備」の大きな効果があったと思います。)

この「悲嘆のプロセス」出現の度合いの差はかなりありますが、
いろいろな悲しみ・苦しみ・悩み・辛さに通じるところがあります。

例えば失恋。
 1.精神的打撃と麻痺状態
   何を言ってるの?冗談?
  
 2.否認
   なにかの間違いだ。悪い夢だ。明日また会いに来てくれるはず。

 3.パニック
   嘘だと言って~!!

 4.怒りと不当感
     あんなに尽くしてあげたのにどうしてなの。
    
 5.敵意とうらみ
   あいつが彼(彼女)を誘惑したんだ。

 6.罪責感
   あの時、自分があんなことしなければ、こんなことにはならなかったんだ。
 
 7.空想形成ないし幻想
   彼(彼女)との楽しかった時の白昼夢が…。

 8.孤独感と抑うつ
   どうせ自分なんか、人から愛されるに値しない人間だ。

 9.精神的混乱と無関心
   あなたの居ない人生なんて。

10.あきらめー受容
   運命の人ではなかったんだ。いつまでもくよくよしてたって仕方ない。 

11.新しい希望ーユーモアと笑いの再発見
   男(女)なんて星の数ほどいるわ。

12.立ち直りの段階ー新しいアイデンティティの誕生
   彼(彼女)が悔しがるぐらいのいい女(男)になってやる。
   そして、もっと、自分のことも相手のことも大切に出来る恋をしよう。

生きる苦しみ、老いる苦しみ、病の苦しみ、
愛するものと別れなければならない苦しみ
憎んでいるものに出会う苦しみ
欲しいものが得られない苦しみ
自分の見たこと聞いたこと考えたこと決めたことへの苦しみ
四苦八苦に当てはまると思います。

心の傷が癒えるとは、単に健康な状態に復元することではく、
人格的に大きな成長を遂げることを意味するそうです。

コーチングは、自発的な行動を促すコミュニケーションですが、
パーソナルコーチングをしていく上では、
行動の障害となる感情を、うまく整理していくことが必要なことがあります。
悲しい苦しいという感情を持ったときに、セルフコントロールをするには、
この「悲嘆のプロセス」で、自分が今、どの段階にあるのかを、
客観的に見る視点を持つことは大切なことです。

パーソナルコーチングについてはBrightAssistへのリンクをクリック。
http://bright-assist.com/

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2009年4月30日 (木)

腹が立つ ~「心の地雷」

こんにちは、BrightAssistの岩元佳子です。

腹が立つことありますか?

昔は腹に心があると考えられていて、気持ちや感情の意味で「腹」。
「立つ」のは激しくなる激するという意。
腹が立つとは、感情が激すること。

「腹を立てる」のは、あくまでも自分がそうしていることを表現しているのに対して、
「腹が立つ」「頭にくる」は自分の意志ではコントロールできないことのようです。
 また、
「腹が立つ」のは「だんだん腹が立ってくる」のように段階的にそうなる感じですが、
「頭にくる」のはより瞬間的な感じがします。

博報堂生活総合研究所「生活定点調査」によると、
http://www.hakuhodo.co.jp/pdf/2008/20081217.pdf
「世の中にいやなこと・腹の立つことが多い」と答えた人が
1992年61.8%→2008年76.2%
年々上昇して、この16年間で14.4%も上がっています。
今の社会の揺らぎや個人の感情が不安定になってきているのを感じます。

どんな時に腹が立ちますか?

犯罪や諸悪に対する社会義憤もあります。

軽く扱われた
蔑ろにされた
侮られた
見下された
信頼されてない
否定された
批判された
レッテルを貼られた…等

自分の自尊心を傷つけられた時

お金にルーズ
時間にルーズ
嘘をつく
非常識・不誠実
裏切る
邪魔をする
一方的に話して、人の話を聞かない
依存的
理不尽な要求をしてくる
威圧的
指示通りに行動しない

相手が自分のルールと違う行動をした時

腹が立つのは、自分自身の自尊心とルールを守りたいからのようです。

私は、自分の子どもに対してよく腹を立てると自覚してます。
するべきことをしない時、するべきでないことをした時、腹を立ててます。
腹を立てて怒った後に、子どもに対して
「優しい母さんで居させてよ」と横暴な台詞を言ったこともあります。

子どもが私の「心の地雷」を踏むと爆発します。

腹が立つことがあっても10数えて心を落ち着かせるのよ…
なんてことできるはずがありません。少なくとも私の場合。

一たび地雷を踏まれたら、爆発するのはどうしようもないことなのです。

でも、そこに地雷を埋めていいるは、他ならぬ私自身なのです。
「~でなければいけない」「~すべきだ」という考え方が地雷の正体。
子どもは親の言うことを聞くべきだ、
子どもは親の手を煩わせずに行動できるようにならなくてはいけない、
子どもは親に口答えしてはいけない…など

もしも、腹を立てる自分が嫌なら、
人に地雷を回避させなくても、自分がその地雷を除去すればいいのです。
腹が立ちや怒りの下に隠れているものは何なのかを探すのです。

詳しくは2009年4月22日 (水)の記事「自縄自縛を解く」もご覧下さい。

セルフコーチングしているうちに、
かつての私の地雷原からは、たくさんの地雷が除去されました。
コーチングについてはBrightAssistへのリンクをクリック。
http://bright-assist.com/

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2009年4月22日 (水)

楽な受け取り方、おかしな受け取り方 ~自縄自縛を解く

こんにちは、ブライトアシストの岩元佳子です。

【自縄自縛】
自分の縄で自分を縛るの意。自分の心がけまたは言動によって、
自分自身うごきがとれなくなり、苦しむこと。(広辞苑)

人は物事をおかしな受け取り方をすることによって、
自分自身を縄で縛り苦しめています。

人は、全ての物事を、自分のフィルターを通して自分に取り入れます。
人生の悩みは、出来事そのものではなく、
出来事の受け取り方によって生まれてくると言えます。
同じ出来事でも、怒る人と怒らない人がいますものね。
逆に言えば、どのようなことでその人が感情的になるかに、
その人の物事の受け取り方が現れます。

例えば、
「おはようございます」と挨拶したのに無反応の人がいたら腹が立つのは、
「人はお互いに挨拶すべきである」とか「人から好かれるべきである」とか、
「自分を不快にさせる人に文句を言うのは当然である」という
受け取り方の前提(「ビリーフ」といいます)があるから腹が立ちます。

この種の「~べきである」というビリーフがある以上は、
腹を立てるなといわれても無理。

もしも、この挨拶が返ってこない状態が苦しくて、どうにかしたいなら、
「自分は挨拶をするけど、その時に相手は挨拶してくれるにこしたことはない」
「彼は彼、自分は自分」といった
楽なビリーフに書き換えることができたら苦しくなくなります。

「人はお互いに挨拶をする」ということは人として正しいことですが、
ここでは、その考えや価値観が正しいとか間違っているということではなくて、
自分を縛る苦しい考え方から自分自身を解き放つことを目的に、
楽な受け取り方について考えています。

「受け取り方」によって、楽にも苦にもなります。

例えば、職場の上司から非難された時、激しく落ち込むのは、
「人に非難されたから自分はダメな人間である」という
おかしな受け取り方があるからかもしれません。
非難する上司の側に問題のあることも、多々あります。
非難される自分が悪いのか、非難する上司の問題なのかよく考えてください。

自分が悪いなら同じ非難を二度と受けないための改善策を考えればいいのです。
もし上司の問題なら、右から左に受け流しましょう。
決して「自分はダメな人間だ」と自分で思わないことです。

イエス様やお釈迦様のことでさえ、非難する人や嫌う人が居たのですから、
誰にそんな人がいたとしても不思議ではないことです。

人に非難されると確かに嫌な気持ちになります。
でも、誰しも人を非難する自由があります。するかどうかは別にして。
同時に、人を拒否する自由もあります。

また、例えば、夫婦の場合。

「夫(妻)は私を尊重して理解するべきだ」というビリーフを持っていると、
何か夫婦の気持ちにすれ違いがあった時に、
夫(妻)が自分を蔑ろにする、なにも解ってくれないと腹を立てたりします。

「私は完全無欠でなくてはいけない」とか、それに近いビリーフがあると、
夫(妻)の何気ない一言が自分の完全で無いところを責めているように感じます。

完全無欠なのが良い妻(夫)なのではなくて、
不完全を指摘されたときに、さらりと「ゴメンネ」とか、
さらに一歩踏み込んで「ありがとう」って言える方が
幸せに近いと思います。

親子の場合
子どもは親の言うことを聞くぺきだというビリーフがあると、
思春期の反抗を力で制圧しようとして、
子どもがなおさら反抗的になるという悪循環に入ります。

おかしな受け取り方、苦しくなるような受け取り方が多い人は、
苦悩の多い人生を送ることになります。
「受け取り方」今までの人生の経験からできているので、
変えることは簡単ではありませんが、
自分を縛る縄を一本ずつ解いてみませんか。

人間関係のコーチングは、BrightAssistへ。
http://bright-assist.com/

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2009年4月 1日 (水)

スカートの裾を踏まないで ~二重拘束(ダブルバインド)

こんにちは、BrightAssistの岩元佳子です。

自由にやっていいと言われ、前に進もうとしたら、
誰かが私のスカートの裾を踏んでいて進めない。
誰かと思ったら、自由にやっていいと言ってる本人だった。

田中真紀子元外相がこのようなことをおっしゃっていたと思います。
流行語にもなりましたね。

職場や学校や家庭などでも、
進めと言いいつつスカートを踏みつけるような
矛盾した状況を強いられることがあります。

そのなかでも、
権力の有るものと無いもの、命令する者とされる者などの関係で、
特に、親子や夫婦、上司と部下、先生と生徒など、
簡単には逃れられないような固定した関係で、
相反する命令や態度で、力の弱い側が身動きできない状況に陥れられることを
二重拘束=ダブルバインドと言います。

物事の決断を妻や部下に丸投げしておいて、
うまく行ったときは黙っていて、
失敗したら責任をすべて妻や部下にかぶせる夫・上司。

生徒を規則で縛り、
生徒に対して理不尽な言動をして
生徒の反抗は「内申書に書くぞ」と制圧する教師。

子どもに「自分でやりなさい」と言っておきながら
失敗しないようにと先々に手を出してしまう母親。

どれも、どんな意思決定や行動選択をしても、
力の強い側から、否定・拒否されたり、怒られたり叱られたりすることになります。
結果、自由な意思決定ができなくなり、混乱・葛藤がおきます。

私たちは、普段はこんな状況を、適当にやり過ごしたり、
新しい状況を切り開いたりすることによって対処して、
精神のバランスをとっています。

やり過ごすことも新しい状況を切り開くこともできないような場合、
強いストレスを感じて精神のバランスを失い混乱してしまいます。
混乱の度合いは「もやもや」から「パニック」までさまざまです。

このダブルバインド、やってる側はそれに気付いてなかったりします。
コミュニケーションの癖というのかパターンというのか、
ついやってしまってませんか?

次から次へとこなせないほどの量の仕事を渡して、
あれはどうなってる、これはどうなってると、
細かく進捗を管理する。
それで仕事は進まないと、こいつは能力が低いと評価を下す。

上司の側は、指導しているつもりでも、
部下の頭の中の机の上をかき回して作業効率を下げる結果になっています。
そして、それにもかかわらず、能力が無いと評価を下されると、
部下のやる気は下がる一方。
「あなたのせいだ」と叫びたくなることでしょう。

自分が強い側に立つ人間関係の時に、
指導や躾の大義名分の下に、やっていること、
それは、本当に相手の方のためになっているのか、
それとも、自分の支配下・管理下に置くためにやっているのか、
自問してみることも必要です。

思春期の子にダブルバインドを仕掛けると、
疾風怒涛の荒波が湧き起こります。

子どもに対して、母親(父親)や母方(父方)の身内が、
父親(母親)の悪口を言いつつ、
あなたが可愛い愛していると言われても、
その親を好きであるかどうかにかかわらず、
子どもは自分の半分を否定されていると感じとって混乱しているかもしれません。

こんな上司・教師・親に、ダブルバインドを仕掛けられていると気付いたなら、
あなたは、そこから脱出する方法を見つけ出せる可能性があります。

人間関係のコーチングは、BrightAssistにお問い合わせ下さい。
http://bright-assist.com/

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